長野旅行紀
平成17年12月4〜6日 【東京−長野−小布施−小諸−熊本】
職場旅行から外れた朝、朝食を終え、全日航ホテルを後にして、タクシーで世界貿易センタービルへ向かった。料金980円。
ここで、長野行きの新幹線切符を2枚購入し、モノレールでY高校の修学旅行生と一緒に羽田に着く連れ合いを迎えに行く。
地階の理髪店で散髪をして飛行機の到着を待った。4700円也。
12:09分に飛行機は着いたが、わざわざ手提げバックを手荷物扱いにしたT子にブーブー言いながら、30分以上を要してふたたびモノレール経由で東京駅から13:28分発の「あさま519号」で一路長野へ。
車中で、駅弁を買ったのだが、これが「峠の釜めし」。日本で最も有名な駅弁の一つ。焼き物を容器とした日本初の駅弁でもある。益子焼の釜の中に茶飯を詰め、その上に鶏肉・タケノコ・ゴボウささがき・椎茸・栗・杏・うずらの卵に紅生姜とグリーンピースを載せる。蓋も陶製で、掛紙をかけて紙紐で縛り、釜型の別容器で付け合わせを添付してある。家で再利用ができると書いてあったので、行きがけから二人分の益子焼きの弁当殻をバックに詰めて持ち歩く羽目に。
軽井沢あたりから雪が激しくなる。見る間に雪景色。
新幹線からの車窓
15:08長野駅着。当初の予定より1時間早く着いた。駅前に善光寺いわれの布引観音の噴水がある前から市内巡回バスで善光寺へ向かう。雪は止んでいるがとにかく寒い。
善光寺は、何年ぶりだろう?、確か32歳の時、長野〜新潟を廻ったとき以来だから15年ぶりだ。現在、善光寺は大改修中、大きな垂れ幕で「善光寺を世界遺産に」と掲げてある。ここで、大失敗をしてしまった。山門をくぐると、右手に手水舎があったので、水で両手を洗い、てのひらに水を受けて口を漱ぎ心身を清める。御堂前で、ガラガラがないのを不審に思いながらも、お賽銭を投げ込み、二礼二拍手一礼をして社中へ入った。ちょっと離れたT子が、バツが悪そうに後に付いてくる。ここは、社中ではなく寺中だったのである。「坊さんが睨みよらしたよ。」と私をからかう。「だって、手水舎があったじゃん」&「ここは、”宗派は関係ない、誰でもお参りを”」と書いてあるじゃないかと言い訳しながら取り繕う。
善光寺本堂の東側に地下に通じる入口がある。その神秘の闇に閉ざされた空間は、「お戒壇」とよばれ、私たちが生まれかわれるところといわれている。
阿弥陀如来を安置する瑠璃壇の下を一回りするのだが、その中央にかけられた錠前にふれることにより、極楽往生がはたせるといわれている。真っ暗な闇の中をT子が先に行く。中程を過ぎた先で、探り当てたT子は錠前をガチャガチャと鳴らす。二人でしっかり鳴らして抜けた。 後日、我が家へ帰るとき、大変な目に遭うことになるのだが、このお参りのおかげ?で助かったと後に思うことになった。
重いバックを抱えて、仲見世歩いて下ると左側に「パティオ大門 蔵楽庭(くらにわ)」とある。玉名の「高瀬蔵」を大きくした感じのパティオ。向かいには、旅館みたいな郵便局がある。
その先に、3セクの店「信州小川の庄」との看板が掲げてある。バスで通りかかったので気になっていた店だ。提灯と農家の入口が誘いをかける。店の青年が「お茶でもどうぞ」と声を掛けるので、入ってみた。
種々の野沢菜加工品やおやき、そばなど田舎の産物を即売している。そば茶をもらってそこの女性店員さんと話し込む。長野から20km位離れたところの村の3セク会社で、ここにアンテナショップを開いているとのこと。何十種類の野沢菜の試食がおいしい。暖房を兼ねた「おやき」を焼くための囲炉裏で暖を取りながら、それぞれ説明を聞いた。
店は、交代で村の人が出かけてきている。おやき焼きは、お年寄りじゃないと上手に焼けないと、毎日2人づつ来てもらっている、今日は雪が降ったので雪下ろしのために早く上がらせたとのこと。ひとつひとつの話が聞いてて暖かい。とにかく接待上手の若い店員さんのお薦めを買い込んでいると、今度は、強面の親父が話しかけてきた。九州から来たと話しながらしばし雑談。設立20年になるこの会社の社長は「村長」と呼ばれ、もともと従業員は60歳以上が始まりだったらしい。本来、売り物のコーヒーまでサービスしてくれた。
山菜の商品開発といい会社運営のやり方といいほのぼのしい。パンフには「静かな山村は、特別でないかぎり遠くの人達との交流などありませんでしたが、毎日訪れていただくお客様によって村が大変明るくなりました。」と書かれている。次回、この村も訪れてみたいと強く感じた。
とうとう、1時間以上費やして、ホテルへ。
今度は、ディナー。とはいっても前日までの洋風からうって変わって和風への転換。
「ごとく」という店へ入って、「鍋料理」二人前と「信州地酒」&「霜降り馬刺し」&「牡蛎フライ」&珍味「ざざ虫」に最後はアイスのデザート。 お酒は、信州の地酒、美味しい。T子も飲んだ。
1500円の霜降り馬刺し(丸重の方がおいしい)
一匹いくら?
長野県は、昆虫食王国らしい。
農業改良普及センターの平井さんという人が ”これで私も信州人の仲間入りができたかな?などと一人得意になっていたとき、当時北信から来ていた寮仲間に、「伊那のざざ虫を食べないうちに、そんなことを言っちゃあいけない。」とたしなめられた。”と書いている。店の女の子に聞いたら食べたことがないという。これは、注文してみるしかない。 ほかにイナゴとハチの子がメニューにあった。
帰りは雨、傘を持ってでなかったので走ってホテルへ。
翌日、冠雪の山々が美しいホテルの上階で朝食をとって、いよいよ、小布施へ。
長野駅から9:20発長野電鉄特急小布施行き。特急なので3駅しか止まらない。途中沿線にはさすがに栗園が拡がっている。防霜ファンが立ち並ぶ。栗のため?、聞き損ねてしまった。9:50駅着。荷物をロッカーに預け、早速、北斎館周辺を目指す。
シャトルバスは土・日・祝日と行楽日のみ運行ということで歩きになった。
歩道は、栗の木と石板(煉瓦?)を市松に並べてある。雪の残る模様がデザインとなって美しい。
オープンガーデンは、今の季節だからか、菊や鉢物が多い。思ったより小さい規模だけど、ちゃんとオープンガーデンであることを表示してある。62の数字があるから、これくらいオープンガーデンがあるということかな。
北斎館周辺は、高井鴻山という北斎を招聘した豪商の家を中心に整備されている。
いいですね〜北斎は。
「昨日の傑作が自分の最大の敵になった。」或いは90歳過ぎて「あと10年あれば本当の絵が描けるのに。」とかビデオ紹介があって、ポジティブな精神に学ぶことができた。
町並みや美術館をみて、小布施は「花と文化の町」。山都でも出来そうなこといっぱいあるけど、どうやったらいい?
商工会が、52の商店などのイラストマップを掲示しています。
小布施の道を散策していると、途中途中に、小布施の昔話を楽しめる。
中島千波館(美術館です。)
置くに見える2棟は、祭りの山車の収蔵庫。
浜町にも欲しいなぁ。
秩父にも、犬山にも、川越にもみんな山車の蔵がある。
↓ かの有名な小布施堂
← 商工会と観光案内所(駅近く)
そば喰って、今度は小諸へ。
12:54長野電鉄としなの鉄道を使って小諸着。
小諸駅の裏っ側が、懐古園。
園内を散策しながら「藤村記念館」へ。
以前気が付かなかったことは、彼が此の地ですばらしい先生だったこと、子供達からすごく慕われていたことである。
なぜ此の地に来たのか。
彼の詩の意に少しでも触れられたかな。 再訪して良かったと感じた。
「もっと自分を新鮮に、そして簡素にすることはないか」。藤村の言葉が胸に沁みる。
園内の美術館や博物館をみて、旅館「中棚荘」へ。
浅間山の冠雪
タクシーに乗って、信濃川に近い旅館へ。島崎藤村ゆかりの宿である。
適当に、インターネットで探した宿。ところがこれが掘り出し物だった。
玄関を入ると、ライブラリーとなっているラウンジへ案内され、山羊のヨーグルトのウェルカムドリンクが出た。
T子は、不得手のようだったが、私は大好物。
藤村の本を中心に置かれた書架と薪ストーブの雰囲気がいい。
宿帳の記入を済ませると、案内の女性が部屋へ案内してくれた。
部屋はなんと、「藤村の部屋」である。指定もしていないのにまさか、自分たちが使えるなんて、ラッキー。
ワインと絵はがきをプレゼントだといって持ってきてくれた。
(ネットで予約したからだそうで)
部屋から見た新館や本館
一戸建て風呂(入ったよ。) →
リゾートとは、「仕事にまぎれて本来の自分を見失っていた人々が大自然の中で、自らあるべき姿を見出す場所」。
初恋りんご風呂(季節限定) →
大変良い温泉です。気持ちいい。
リンゴは、130個以上あった。
まず、ワインと日本酒を飲んだ。
その後、追加で注文した時のこと。
お薦めを聞きながら、迷って辛口の方ががいいと言って頼んだら、なんとガラスのお猪口に一杯づつ、持ってきて「どちらが好みか飲んでみてください。」というじゃないですか。美味しかった方を頼んで、持ってきたのがこれ。氷で冷やして。
とにかく心遣いが気持ちいい。
適当に選んだ宿だったのに、結構有名な宿だったみたい。
従業員の教育が徹底しているのには驚いた。施設は古くても、客が何を求めて来ているか、逆に客にサービスを売ることの意味をしっかり教えてあると感じた。
筋交いのお客の夕食時の出来事。夕食に案内した従業員が、テーブルの上に置いてある部屋表示の板を間違っていたらしい。すぐに配置ミスを謝り、配膳の支度をはじめ、お客も何事もなかったように食事を摂っていたのだが、間もなく、上司らしき女性がそのことを誤りにきた。何でもないようなことに感じたが、報告した従業員や、そのことを断りにくるその教育やシステムに感心した。自分のお酒のことだってそうだが、何をして欲しいかよく分かっているのは嬉しい。
自宅に帰ってから、2日後、早速女将からお礼の葉書が来た。やっぱり。
小布施に行ってみたくて、計画した旅行だったが、どちらかというと小川村と小諸が印象に残った。今度、こっちに機会があったら、小川村の元気を訪ねて、小諸で藤村はどんな生活を送ったのか再度見に行って、泊まりは「中棚荘」ってコースで。いやもうちょっと足伸ばして、小林一茶の庵も見に行こう。
最後に、吉無田の凍った橋の上で車がスピンしたが、人も車も無傷ですんだ。
これは、善光寺の阿弥陀如来にお参りしたおかげかなってT子と話した。
了 J.H